PRISM

COMMENTARY

解説

音楽を映像につける試みは、トーキー以前のサイレント映画時代に遡る。映画に合わせて生演奏をおこなうのだが、ピアノやオルガンを即興演奏するような例に加え、1908年には「動物の謝肉祭」などで知られるサン=サーンスが映画音楽を作曲している。以後も多くのクラシック音楽の作曲家が自身の技術を惜しみなく、映画やドラマのために注ぎ込んできた。日本では『ゴジラ』などの特撮の音楽が有名な伊福部昭や、黒澤明監督作品に何度も携わった武満徹などが有名だろう。しかしご存知だろうか。その逆の流れ――つまりは劇伴に特化した作曲家が、コンサートやライヴのために書き下ろす行為が、音楽の歴史のなかで軽視されてきたことを……。

 たとえば、故人であればニーノ・ロータやミシェル・ルグラン、現役の大御所でいえばエンニオ・モリコーネやジョン・ウィリアムズといった映画音楽の巨匠たちは皆、クラシック音楽の専門教育を受けただけではなく、映画音楽とは別に演奏会用の音楽を数々作曲している。だが、彼らのように世界中で名を轟かせている存在であっても、そうした楽曲がコンサートやライヴのプログラムに載ることは稀である。軸足が演奏会ではなく劇伴にあるがゆえに、作品そのもので判断される前に芸術家として一段低く扱われてしまうのだ。これを不当と言わずして、なんと言おう。本職はクラシックの作曲家であると自認していたロータがこの状況を知ったら、きっと深く嘆いたに違いない。

 そして、劇伴あるいはサウンドトラックというカテゴリーは、あくまで音楽の在り方であって、スタイルではないということも評価しづらい原因を生み出している。現場で求められるどんな音楽にも対応できるように様々な音楽様式を身につけている劇伴作曲家が多いからこそ、劇伴ではない音楽を書いた時に、カテゴライズされる具体的なジャンル名を失いがちなのだ。当然、ジャンルが変われば音楽を評価する観点も変わるわけだが、どの文脈で評価されるべきかが定まらなければ、評価のされようもない。だからこそどのジャンルからも軽視されてしまい、個々人の好き嫌いでばかり判断されてきてしまったのだろう。

 前置きが長くなってしまった。窪田ミナにとって、9年ぶり3作目となる自身名義のアルバム『rain』(2020)は、前述してきたような例にずばり当てはまるような作品集だといえる――と同時に、それゆえ、これまでのアルバム以上に豊かさを感じさせ、彼女にしか描けない音世界が広がっているともいえるのだ。

 そもそも窪田は、英国王立音楽院において作曲科と商業音楽科に籍を置いていたのだが、メインの専攻は前者。19世紀までのクラシック音楽だけでなく、メシアン、ブリテン、シェーンベルクなどといった20世紀を代表する作曲家の音楽を深く学び、かのリゲティの前で自作を披露して称賛されるなど、学生時代から既に現代音楽の文脈で才覚をみせていた。その経験は、劇伴のなかに今も大きく活かされているのだという。

 劇伴やテレビ番組のテーマ曲、CMのための音楽などを核とした1作目『モーメント』(2008)と2作目『Crystal Tales』(2011)においても、部分的にそうしたサウンドを耳にすることは出来るが(「イン・ザ・ミドル・オヴ・ノーホエア」等)、窪田が得意とする現代的なリズムトラックを伴う楽曲は劇伴・サウンドトラック以外の文脈には位置付けづらいのもまた事実。素晴らしい音楽であっても、クラシック音楽的な観点からの評価は難しかった。

 それに対し『rain』は全てピアノ・ソロ。基調となるピアノの書法はクラシック音楽そのものというより、(特にクラシックの録音を数多く経験する1980年代以降の)キース・ジャレットや、ブラッド・メルドーなどといったクラシックから強い影響を受けたジャズピアニストが単独の演奏で聴かせる瞑想的な音楽に近い。ただしトラック9の「madoromi」のようにはっきりジャズとの繋がりを感じさせるハーモニーから始まる楽曲もあるが、ジャズ的なアドリブがないため、ジャズの文脈でも捉えきれるわけではない。
 ピアノの音色は、過去作『モーメント』に収録された「深縹(こきはなだ)」と聴き比べると、『rain』は全編で少し落ち着いた色調となり、より奥行きを感じさせてくれるようになった。クラシック音楽そのものではないが、クラシック的な方向により近づいているのは間違いないだろう。なかでもアルバムのなかほどに据えられた「amagasa」はラヴェルやドビュッシーといったフランスの近代音楽への共感に満ちた1曲だ。

 一方、続く「Rendezvous」でも冒頭からフランス音楽的なハーモニーではじまり、その後も主題を丁寧に展開させていく構成をとる等、クラシック音楽的な要素は多いのだが、旋律やリズムの素材にクラシック的ではない素材も含んでいる。本来なら相容れそうにない異なるスタイルの音楽が、ピアノ・ソロという形をとることによって個々のジャンル性を薄め、共存している。こうした部分にこそ、『rain』というアルバムおよび、窪田独自の魅力が溢れかえっているのだと思う。

 もちろん、そんな小難しいことを考えずに、日常のBGMとして心地よく聞き流せるアルバムでもある。タイトルからイメージを想起し、架空の劇伴として自分なりに情景を膨らませていく聴き方でもまた、豊かな時間を過ごすことが出来るだろう(なお「Eleven」は東日本大震災の頃につくられた楽曲で、「2011」「3.11」そして「9.11」と3つのイレブンを意味しているのだという)。しかし同時に、真剣に聴き込むほどやっぱり驚かされてしまうのだ。時代や国を超えた多様な音楽スタイルが彼女の血肉となった上で、たった2本の手から縦横無尽に紡がれていくということは、おいそれと出来ることではない。しかもどの曲でも常にキャッチーさを失わず、親しみやすい音楽で有り続けている。

 そのスタンスが如実にあらわれているのがアルバムのラストに控える「Sky」だ。窪田が留学以前、好んで聴いていたデヴィッド・フォスターのようなポップさが感じられ、良い意味でクライマックスを作りすぎないので、また繰り返し聴きたくなってしまう。そんなポップ・ミュージックの中毒性も兼ね備えた『rain』は、「劇伴」でも「クラシック」でも「ジャズ」でも「ポップス」のどこにもカテゴライズ出来ない音楽……なのではなく、それら全ての要素を兼ね備えているからこそ、聴き手が自分の好きな音楽に寄せて楽しむことが出来る音楽なのだ。

小室 敬幸


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